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2019-09

患者30名(現役&元) 山形の温泉貸切ツアー

久しぶりのブログUPになってしまいましたが、皆さんお元気ですか?

前の会社の同僚で私より3か月前先に乳がん告知を受けていた友人の主治医主催の温泉貸切ツアーに
参加して来ました。参加者31名で、現地の医師2名も加わった医師3名と同行看護師1名とバックアップ体制も
万全の中、「芋煮」の調理実習も兼ねた説明&食事会といった地元のサポートや、先生方による講演など
盛りだくさんの催し、そして深夜におよぶおしゃべり会と元気いっぱいにさせてもらった二日間でした。

現在治療中といった方から、術後20数年という方まで幅広く(どちらかというと術後何十年の方が今回は目立ってた様子?)希望を持たせて頂きました。

夕食時には簡単な自己紹介をすることになり、私も毎週金曜日に脱原発のデモ活動に力を入れている事を話すと、
それに同調して下さる方もいてさらに盛り上がってしまいました。

一泊の旅はあっという間で、岐路の電車待ちでは、衆議院解散がほぼ確実とのニュースが流れ、選挙に向けた
「脱原発 & 反TPP」という切り話すことの出来ない最重要課題についての啓蒙活動が必要だと今後の行動への
決意を固めました。
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乳房再建について

今月は乳がん関連のセミナーが続いていて、先週末もイデアフォーというグループ主催の講演会に行ってきました。今回の話題は「病理診断の現在」で、現役の病理医であり、大学教授でもある堤寛先生が講演して下さいました。病理というと現代医学の先端といったイメージがあるんですが、実際は熟練病理医の勘に頼らざるを得ないところも多く、マニュアル化することの難しい領域のようです。5人の病理医がいたら5通りの診断が出ることもあるそうで、私たち講演を聴きに行った患者たちは複雑な思いを胸に帰途につくことになったのではないでしょうか。

病理の話題もまたゆっくりと取り上げてみたいと思いますが、今日は乳房再建についてお話したいと思います。

右胸全摘手術を受けて1年ちょっと経った今、相変わらず再建することも無く、スポーツクラブに通って普通にシャワーを浴びたりお風呂に入ったり、温泉に行ったりもしています。私は比較的、乳房を失った事に対する大きな喪失感のようなものは少ない気がします。なぜかと考えてみると乳房だけが女性の象徴だと考えていないからです。女性としての魅力の一つになり得る事には同感しますが。

でも乳がん患者の多くの方が、私とは違った考えをお持ちのようで(というか私が少数派という事ですね)、同時再建(又は一次再建と呼ぶ)という乳がん摘出手術と同時に再建手術を行う手法を選択するケースも少なくないようです。アメリカでは日本の比でないくらいの同時・2次再建(乳がん摘出から日を改めて再建手術をする)が行われているようです。

乳房だけが女性の象徴ではないと思っているとは云え、全く再建を考えていない訳ではありません。やはり再建すれば、より自然な姿でジムに行ったり、温泉に行ったりも出来ますし、服を着た時のバランスなんかも気にしなくて済みます。幸い(?)な事にもともとの乳房のサイズが小ぶりなので、ボリュームのある方に比べて苦労が少ないのも再建無しで違和感感じずにここまで来れている気もします。

では何が再建への道を遠ざけているのかと申し上げますと、やはり日本での保険適用に関する問題です。乳房再建で保険が適用されるのは、自家組織を使った再建のみです。自家組織として選べる箇所は2つあり、背筋もしくは腹筋です。これはあまりに意地悪な究極の選択ではありませんか!背筋も腹筋も健康に余生を過ごす為には大事な筋肉です。なぜ筋肉を取らなければいけないかというと血管をつなぐ必要があるそうなので、納得出来なくもないですし、そんな複雑な手術を保険適用でやってくれる事にむしろ感謝すべきなのでしょうが、、、それでも乳房再建の為に背筋か腹筋かなんて選択は出来ません!

そうなると豊胸手術同様にインプラントを埋め込むしか方法がありません。一応、どっかから採った脂肪を持ってきて乳房に注入というような手法もあるようですが、採る脂肪のある方に限られますし、血の通っていない冷たい乳房にただ脂肪を注入、、というのでは形の安定度は低い気がします。

インプラント再建だって、一生ものではないはずです。仮にこれから再発もなく40年生きるとして、40年も埋めこんでおけるものでしょうか?仮に出来たとしても80代のおばあちゃんが右胸だけ40代っていうのもイメージしにくいです。

そんな理由で、再建にはさほど積極的なプランの無い私ですが、先日アラーキーこと荒木経惟氏の「いのちの乳房」を拝見し、とっても感動しました。乳がんで乳房を失った女性が再建し(再建中の方もいます)ヌードでポーズを取っている写真集なんですが、どの女性もすごく良い表情をしているんです。ちょっとはにかんだ感じでいながら嬉しそうな彼女たちを観てい私まで嬉しくなってきました。みんな失意のどん底を一度は経験しているんだろうなぁを思うと、同時に涙も出てきました。この写真集のプロジェクトを立ち上げた女性3人で構成する異業種交流的ワーキングチーム、そしてアラーキー氏の情熱が上手く相乗効果をあげた作品になっています。私も微力ながら貢献していきたいなと思わされます。

中村清吾先生もあちこちの講演に出られていますが、インプラント再建の保険適用への働きかけなどもされているようで、嬉しい限りです。術後5年となる2015年ぐらいにインプラント保険適用となった時には再建考えてみてもいいかな?なんてぼんやり考えてます。

それに恋愛だってまだするかも知れないし、「胸の一つくらいなくたって君が好きだ」なんて言ってくれる男性が現れないこともないでしょうが(ゼロではないでしょう、、と信じたいという意味です)、人工乳房でもあった方が事がスムーズに行くのかなぁ、、とも思いますしね(笑)。

(↓先日行った道後温泉での湯上りのくつろぎ場より)
道後温泉2Fでまったり

ピンクリボンについて

pinkribon

本日、有楽町で開催されたピンクリボンシンポジウムに行って来ました。1000人以上の応募があったらしく抽選になっていたとの事です。満席状態でした。年齢層は以外にも他の乳がんセミナーよりもやや高めに感じました。6割は患者らしいです。
、、と言ってもピンクリボンを全面的に支持している訳でもないし、今さら乳がん早期発見の必要性の訴えを聞きに行くまでも無いのですが、何か新たな視点で考えさせられるような事があるんではないかといった期待と、何と言ってもお目当は乳腺外科領域でのカリスマ的存在でもある中村清吾医師の講演でした。

本や雑誌などメディアを通じた活動も多く、聖路加国際病院外科医長などを経た後、ブレスト・センター立ち上げ後、現在は昭和大学でもブレスト・センターを立ち上げ、後継者育成にも力を入れておられるようです。さすがこの領域の第一人者だけあって、講演内容も最新の情報を盛り込んだタイムリーなお話でした。日本で認可される新薬のお話や再建の自家組織以外のものへの保険適用についてなど興味深い内容でした。そして先生ご自身の生い立ちについてのお話なども本などでは触れていないような内容がとても新鮮で、先生を身近な存在に感じさせてくれます。

NYにも中村医師のUS版とも言えるような乳腺のカリスマドクターがいました。今から10年以上前なのにすでにICレコーダーを使って、患者への説明と記録を同時に行っていました。患者にとっては血の通ってない無機質な説明は、その場で質問しづらかったり迷惑な話でもあるんですが、彼の腕を頼って集まってくる患者の数を考えたらやむを得ない事なんだろうと思ってしまいます。予約があっても3,4時間待ちはザラでした。彼も腕の良さに加えてかなりのいい男でした。

そんな訳で日曜の午前の習慣でもある1時間のヨガのクラスを終えて、軽くシャワーをあび、ランチは後回しにシンポジウムへと出かけて参りました。

それにしても、“早期発見“ってどういう事を言うのか難しいところです。
私の例でもおわかりの通り、30代半ばから定期健診をし続け、手に触れるしこりは良性(乳腺症)で、乳腺症はむしろがんになりにくいとさえ言われてき続けて、突然10年たって言われたのが、

「3cm大の乳がんが見つかりました、もう初期の大きさじゃありません。」でした。
泣くに泣けない心境でした。じゃ、今までの検診は何だったの?という気持ちでいっぱいでした。(この段階でのステージは 2a )

そうかと思えば、右胸全摘手術後の病理の結果は、非浸潤の乳がんでステージ・ゼロ期と判定。とりあえず結果としては「早期で良かったね」という事になります。

後から思えば、これは見落としではなくて、手に触れるしこりは最後までがんにはなってなかったようで、手には感じられない部分でがん細胞は女性ホルモンという餌を吸収すべく新生血管を自ら作り上げ増殖してきたところ、3cm大になったところで画像に姿を表すようになったようなんです。

乳がんは時間をかけてゆるやかに成長していくので1cm大になるまで8年程かかるといわれていますが、倍倍に増えていくのである時点から増殖のスピードが速まるそうです。画像に病変らしき姿を現す瞬間を捉える事がその後の治療の難易度に対する明暗を分けるのかも知れません。

私のように毎年検診を受けていても3cm大になるまで発見する事が出来なかった乳がん、これは年齢的な要素も影響してのかも知れません。若いと乳腺密度が高い故にマンモグラフィーの画像に異変が見え難い状態になるようです。私が40半ばにして異変が発見されたのは乳腺密度(胸の大きさとは関係ないようです)が年齢と共に薄まりつつある時期にさしかかっていたからだったのではないでしょうか。

でも腑に落ちないのは、乳腺のベテラン医師から「もう検査に来なくても良いよ」「何か異変を感じたらまた予約取って来てください」と言われていたにもかかわらず、皮肉にもすぐその後に同じ病院の若手新任医師から乳がんの告知を受ける事になった点です。異変なんて無いまま進行していく場合も多いのに病院側は何でも無いのに検査に来る人をむしろ除外したがっている現状があるわけです。医師側だけを責める訳にはいかないのでしょうが、医師達ももっと深刻な患者を優先的に診ていかなければというくらい多くの患者を抱えてやっているのでしょう。

もう来なくていいと言われても、早期発見は大事だという事なんでしょうね、きっと。

ピンクリボンも単に「早期発見」「早期発見」というだけでなく、何をもって早期発見というのか等、もっと根本的な情報を丁寧に発信していって欲しいと思います。皆にわかり易く、、、と言って単純言語化すると誤解を招くだけになりかねません。乳がんはひと言で言っても症状や治療など千差万別でとても説明するには複雑な部分もあるかとは思いますが、早期発見だけをうったえても誰もその必要性を理解出来ないと思います。理解できるのは一度乳がん告知を受けた人もしくは、近い存在(配偶者・親・兄弟・親戚・友人・同僚等)にそういった経験をした人がいる場合のみになってしまいます。

乳がんと戦うという言葉にも違和感があります。そもそも戦えるものなのかもわからないですし、西洋医学で実績を積んできた医師ですら未開の領域がまだまだ残る中、がんとどう共存していったらいいのか、そういった方向でのお話をもっともっと深めていけたら、そしてこれからは対処両方だけでなく原因に関する研究のお話なんかも進めていって欲しいところです。

今日のシンポジウムは、患者が6割参加していたせいか、あまり初歩的すぎず、思っていたよりは良かったと思います。

センチネルリンパ節生検

センチネルリンパ節生検
乳がん告知を受けてから、数々の決断を迫られてきた中でも、もの凄く悩んだのが、このセンチネルリンパ節生検を受けるか否かでした。

センチネルリンパ節生検とは(大半が)術中に行われる検査で、見た目ではわきの下のリンパ節転移はなさそうな患者を対象に、実際の転移の有無を確認しようとする検査です。
この検査、2010年4月から(術中の検査であれば)保険適用になったばかりの先進医療になります。 

乳がんの場合、転移能力を得たがんが乳管から外へ出て(浸潤 しんじゅん)、血液に乗って乳房(にゅうぼう)から流れ出ていく最初の通り道であるリンパ節が、この脇の下に近いセンチネルリンパ節になるという事です。

このセンチネルリンパ節に転移していなければ、その先の数あるリンパ節への転移もないであろうという見解からその先のリンパ節の郭清(かくせい)も省略できるので、患者の術後の回復負担や合併症・後遺症を回避できます。

ただし、いくら検査とは言え、リンパ節にメスを入れる事には変わりない事や、腕の良い外科医の執刀であっても、腕の神経に触れてしまわない保証はないので、検査を受けるリスクはあるので悩みました。 

ある医師の説によると、たとえセンチネルリンパ節に転移していても、この部分が防波堤になってその先のリンパ節への転移には至らないケースもあるようですし、乳がん患者会で先輩患者の体験談を伺ったところ、腕の神経が意のままにならないことが生じたり(手に持ってたカップを突然落としてしまった等)、リンパ節郭清(かくせい)の結果、通り道を失ったリンパ液が滞留し、腕が膨張してしまったといった合併・後遺症もあるようです。 私はその時かなり“受けない”方向に気持ちが傾いていました。

手術は1週間後、そう思ったらいてもたってもいられなくなり、即アポを取り(当日の空き状況をチェック後)、少しテンパった状態で主治医に「生検は受けない方向でお願いしたい」と伝えました。 すると冷静に私の話を聞いてくれ、同調もしてくれた医師は、「手術まで1週間あるので、最終決断はその時までに考えてみませんか?」と言ってくれ、私は平静心を取り戻し医師の提案に従うことにしました。

私のメンター的存在でもある米国在住の親友にその事を話したら、彼女はそういったリスクを踏まえてもセンチネルリンパ節生検は受けるべきと言ってくれました。 彼女にはとても親身にアドバイスしてもらい(実際、彼女も私の手術までの数々の決断に、眠れないほどあれこれ悩んでくれたそうです)、本当に感謝しています。

入院までの1週間、一層の情報収集を行い、(受ける・受けない)両サイドの意見も取りいれました。 一方、身辺整理(高い所にあるものを移動させたり等)も始めました。 右腕に後遺症を負う可能性を意識しはじめている自分はいつの間にかリスクを取る方向に揺れ初めていたのかもしれません。

手術前日、昼近くに入院し、即パジャマに着替え、各担当医師や関係者からの挨拶・説明・検査などで忙しくしている中、主治医に呼ばれパジャマ姿のまま、手術プランのうち合せとなりました。 そのプランにはセンチネルリンパ節生検も受けるような流れが組み込まれていましたが、すでに昨晩あたりから私の気持ちも保守路線に変わっていました。 

そこには、何だか

“自分の身体は自分だけのものじゃない”

そんな思いにかられた部分もあるからかも知れません。 
生検受けて欲しいと言ってくれる友人や家族の気持ちも嬉しかったです。

そして患者の意思を尊重してくれようとする主治医の誠意にも感謝してます。
告知の時は淡々としていて、不信感すら覚えたものの、
ある時から、「この医師にお願いしよう」と思え、以来その気持ちにブレはありません。
今でも淡々としたところは変わりないし、雑談で和んだ雰囲気作りをしようとする姿勢すらない医師ですが、どこか職業人としての確固とした自信と責任、そして愛情(?)みたいなものを感じさせてくれるからでしょうか。 私より八つほど若い(これは術後1年たってやっとわかりました)女医さんですが、信頼できる医師に年齢・性別は関係ないという事の証明です。

医師との相性も絶対あると思います。
確固とした自信のある医師とは言っても、私には医師の性別に関係なく「俺についてこい」タイプは無理だったと思います。 盲目に医師のすすめる抗がん剤治療その他薬物治療等を受ける患者が多いように思いますが、医師の提案とは反する意見を持つ患者にも、患者の気もちや立場に立って代替策を考えてくれる医師が私には最高だと思ってます。 たとえその代替策が医師の勧める治療に比べて、時間的な延命につながらなかったとしてもです。

術中に受ける事にしたセンチネルリンパ節生検、その準備の為に前夜に放射物質を乳房に注射します。 不安のせいもあったのでしょうが、その晩は目まいを覚え眠りにつきました。入院での初めての夜でしたし、かなり浅い眠りでしかありませんでしたが、術後の麻酔から覚め、無事に手術が終わった事がわかったところに、主治医は真っ先にリンパ節転移が無かった事を教えてくれました。

セカンドオピニオン

検査結果の資料コピー
セカンドオピニオンを他の病院で受けてみたいと思ったのには二つの理由があった。
一つは前職の同僚(同じく独身アラフォー)が私より3ヶ月早く乳がん告知を受けていたという話を聞いており、彼女はセカンドオピニオンを受けた医師に主治医を変更していたといういきさつがあり、大事な決断なので自分もセカンドオピニオンを受けておこうという気持ちになった。

二つ目の理由は、今回告知を受けた病院に不安を感じていた事が大きい。この病院の乳腺科とは4年程の付き合いになる。地元の触診・エコーによる乳がん検診でひっかかり、マンモグラフィーで詳しい検査が必要という事で乳腺科が設置されている大きな病院のリストをもらった。その中から通い易く、評判の良い医師のいる専門病院を検索した結果、この病院を選ぶ事にしたのだ。

新たに触診・エコー・マモグラフィーを受けた後、ベテラン男性医師Fから受けた説明は、乳腺症という良性のしこりはあるが、「乳腺症が乳がんになることはめったに無い」、むしろ乳がんにはなりにくいといったような内容だった。年齢的にも注意が必要だからしばらくは毎年検診していきましょうとの事。2年目は、触診のみ。3年目は触診とポータブル・エコーのみで、「一応これでフォローアップの年次検診は終了します。何か異変を感じたらまた予約取って来診して下さい。」と締めくくられたのだ。

乳腺科は予約があっても3時間くらい待たされる事もざらにあるくらい混んでいる。乳腺症の患者を丁寧にフォロー検診している余裕は無いことが見て取れるが、何だか切り捨てられた感じが残り、腑に落ちない気分のまま帰途についた記憶がある。

皮肉な事に、それから3ヶ月後に私は同じ病院の同科で乳がん告知を受けたのだ。
明らかにベテランF医師の部下と思われるT医師からという違いはあったが。
ベテラン医師に「見落とし」をされていたんだ!
、、、そう思ってしばらくの間は疑わなかった。そして不思議に思えてならないのは、
「なぜ担当医師が今回変わったのだろうか?」若いし、どう見ても乳腺科での経験も浅そうなT医師からの告知もひょうひょうとしていて、「心配いりません」とか「同時再建も可能です」「術前抗がん剤治療でしこりを小さくしてから手術をする方法もありますが、○○さんの場合はホルモン依存が高いタイプなので抗がん剤効果は期待出来ない事も考えられ、、、」などと、私には頭に入らないような言葉が飛び交っているだけだった。

そんな経緯から、この病院で良いんだろうか?この医師で良いんだろうか?といった思いでいっぱいだった。
ではどの病院でセカンドオピニオンを受けたら良いのだろうかといった問題が出てくる。とにかくあまりゆっくり考えている時間がないようなT医師の説明だった。がんが発覚してしまったからには3ヶ月も半年も1年もかけてリサーチするのはお薦めではないといった意見だった。

必死で情報収集するにも、実際に会って相談できるような場も見当たらず、ひたすらネットと本が主流だった。とにかく乳がん手術数の多い2つの病院に絞った。早速電話でアポを入れようとするが、有名病院の一つは2ヶ月近く先になってしまうので、もう一つの病院で約3週間後のアポを入れた。

(話が前後するが、T医師からの今後の治療方針の説明はこのセカンドオピニオンのほぼ3週間前に受けることになっていた。)

最初の病院のT医師に次回会う際に、造影剤使用の検査結果による治療方法の説明を受ける事になっているが、その検査結果のコピーをセカンドオピニオン用に用意してもらう旨お願いしなければならない。持ち出し用の検査結果(画像CDやらプレパラートetc).¥2,550かかった。セカンドオピニオンも有名医師になると高額になるようだが、私の担当医は都内の平均レートなのか¥26,250だった(延長時間は要加算らしい)。時間の管理は徹底しているようで、アポ30分前には受付を済ませているようにと念を押されていた。30分は医師からの説明で、残り30分は看護師からの話(これは結果、要らなかったような気も、、)でした。

内容は想像通り(同じ西洋医学をベースに学び経験を積んできた乳腺外科医であるならという前提)で、驚きはなかったが、このセカンドオピニオンでのA医師による病状の広がり具合の説明で、全摘での手術は避けられないことがはっきりした。全摘への迷いがこれで全く無くなった瞬間だった。

乳房(にゅうぼう)の中心近くから放射状に(根を張るように)病変が延びているので、部分摘出は難しいとのこと。無理に乳房を残そうとがんの取り残しが後で発覚すれば、術後の放射線治療や抗がん剤治療・ホルモン治療が必要になってくる率も高くなるので、私の中では一糸の迷いもなくなった。女性ホルモンを餌に知らぬ間にこんなに病域を広げていた自分の異常細胞を根こそぎ取り除かねばという闘志すら湧いてきた。

セカンドオピニオンを受ける3週間前にすでに最初の病院のT医師から今後の治療方針の説明を聞いた時点で、T医師に主治医としておまかせしようという思いは強まっていたが、全摘手術への決意がセカンドオピニオンによって固められた。もっと時間があれば、外科医ではなく放射線の専門を持つ医師や、もっと別の視点から意見してもらえそうな医師からのセカンドオピニオンを聞いてみたかった思いも残るが、結果として受けて良かったと思っている。

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プロフィール

デビハリ(debbyharry)

Author:デビハリ(debbyharry)
アラフォー・シングル・一人暮らしで失職した矢先の2010年6月に検診を経て乳がん告知を受け、8月に右胸全摘手術。3cm大のサイズから術前ステージⅡaと言われるものの、術後の病理の結果はゼロ期(DCIS)と判明。以降は無治療・無再建で現在に至る。告知から手術までの1ヵ月半の情報収集・数々の決断等が少しでも皆様の参考になればと思います。

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